あれは夢だったのだろうか。
そう思いながら、は帰り支度を整え、職場を後にした。




あれから倶楽部五稜郭へは、一度も足を運んでいない。
ホスト倶楽部にお金を使っているような余裕もないし、毎日が休日な訳でもない。
いつもの日常に戻り、仕事に追われていて、それどころではなかったのだ。




「はぁ〜今日もストレスが溜まったなぁ…」




その日何を思ったか、は電車には乗らず、普段通らぬ道へと足を向けていた。
そのまま川沿いを歩き始める。
このところ気温の高い日が続いているが、川のせせらぎと風が運んでくる僅かな冷気が、
仕事で疲れた心と体を癒してくれるようだ。




もう少しだけ、このまま歩こうかな…と思った時だった。
前方の木陰から、ガサッと音がし、何かが蠢くのが見える。








ま…………まさか変質者!?
の体に緊張が走った。








すると、物音がした場所から一人の男が現れた。
「えっ………榎本さん!?」
「おや、君こんばんは。任務帰りかな?」
「はぁ………。っていうか、こんな所で何してるんですか?」
夜の川原で男が一人、下手をすれば通行人に通報されても不思議ではない。



「ちょっと店で使うものを探していてね。」
「倶楽部五稜郭で…ですか?」
「ああ。」



何だかそのまま知らぬ顔をして立ち去るのも、申し訳ない気がしたので、はとりあえず申し出てみた。
「よろしければ、手伝いましょうか?何を探しているんです?」
すると榎本は慌てて頭を振った。




「お客様にそんなことはさせられないよ。」

「でも……」

「替わりといっては何だが、葉月の七日によろしければ来店してくれないだろうか?」

「七日……ですか?」

「その日、ちょっとしたイベントをするんだよ。もちろん、他の三人を誘って来てくれて構わない。」




イベントという言葉にちょっと惹かれたのと、自分一人でないのなら…と思い、は首を縦に振った。
「分かりました。三人にも声かけておきますね。」





その日の夜、三人の携帯には、からのメールが届いた。





















七日、仕事や授業の終った四人は、待ち合せて再び倶楽部五稜郭へと向かう。


「しかし、何で七日なんでしょうね?」
「さぁ…?」
の質問にも首を傾げる。
道中、はずっと黙ったままだった。
さん、もしかして心当たりがあるんですか?」
が声をかけてみる。
「ん?……まぁね。」
「何ですか!?教えて下さいよ!」
「いや〜ちゃん、榎本さんから何も聞いてないんでしょ?」
「うん。」
「じゃあ私からは言えないよ。ま、店に入ったらすぐに分かるって。」



この人は一体何を知ってるんだろう?
疑惑の目を向けながらも、四人は倶楽部の前に辿りつく。




その時ちょうど反対側から、店へ向かって歩いてくる永倉の姿があった。
「おっ、オメーらも来てくれたのか。最近ご無沙汰だったから、誰かさん達元気なくてよォ。」
「永倉さんはどうしたんですか?もうとっくに開店時間過ぎてますよね?」
「ん?そりゃオメェ、お得意様に営業かけて来たに決まってんじゃねぇか。」
永倉の後ろには、ナイスバディなお姉様方が、ゾロゾロと付いてきていた。



「さ、何かに入れよ。みんな待ってるからよ。」
そう言って、永倉はドアを開け、四人を先に通してくれた。


「淑女のみなさん、倶楽部五稜郭へようこそ!」
「うわぁ…………」



いつもよりライトダウンした店内。


壁に散りばめた小さなライトが、キラキラ輝いて星の様に見える。


そして前回来店した時にはスーツ姿だったホスト達が、今日は着物を着ているのだ。


ホールの中央には、柳の木が飾られている。



「もしかして、七夕?」
「その通りだよ。よく来てくれたね。」
声のする方に視線をやると、そこには着流し姿の榎本が立っていた。
いつもと雰囲気の違う榎本に、は少し胸騒ぎを覚えた。






「蝦夷では葉月の七日に七夕の節句をするんだそうだ。」
そう言いながら、土方は全員に短冊を配る。
「願い事……ですか?」
短冊を受け取ったは、土方に尋ねる。
「いや?折角だから、皆に一句詠んでもらおうと思ってな。」
「えぇ!?無理ですよ!!」
慌てるを見て、土方はにやりと笑う。


「………冗談だ。」


冗談には聞こえないんですけど…
そう思い、固まっているとは裏腹に、土方は何処か嬉しそうである。






その様子を見ていた容保が呟く。

「土方も人が悪い。」

「全くですね。可哀相に、逆に彼女が緊張してますよ。」

と容保に同調する山南。






容保はそのままの元へと向かい、声をかけた。
「やぁ、さん…だったね?」
「はっ……はい!」
それまで土方とのやり取りに気を取られていて、不意に声をかけられた為、
の返事は思わず声が上ずってしまった。
「そんなに畏まらないでくれまいか?」
彼女の様子を見ながら、くすくすと笑う容保。
「短冊には何を書くのだ?」
「今考えている所です。……容保さんはもう決まっているんですか?」
の質問に、容保は真剣な眼差しで彼女を見つめる。
「余は……できれば、お主が余を指名してくれるように…と願いたい。」
「そっ……そう…ですか…」
あまりにも隠さずストレートに言われ、は頬を紅潮させ俯いてしまった。






「どっちが人が悪いんだか…」
「本当にね。」
二人の様子を眺めながら苦笑すると山南。
「でも松平さんの気持ちも判るよ。」
「指名……ですか?」
「僕の場合は、ちょっと違うかな。勿論指名をして貰えるなら嬉しいけれど、
それより、君の事をもっと知る事ができたら…と思うんだ。」
その言葉に、は手にしていた短冊を落としてしまった。
山南はそれを拾うと、に手渡した。
「すまない、迷惑だったかな?」
「いっ、いえ…ちょっと驚いてしまって。その……光栄です。」






などとがホスト達に翻弄してる間に、は山崎によって別室へと案内されていた。






「や〜んちゃんってば、似合う〜っ♪」

「何で私だけこんな格好なんですかっ!?」

別室へと連れて行かれたは、山崎の手によって強制的に浴衣に着替えさせられていた。



「聞いたわよ〜、ちゃんの誕生日って七夕なんですってね。」
「でも葉月じゃ…」
「いいの!細かい事は気にしない!」
話をしながら着々との髪を結い上げ、化粧を施す。
「この衣装は当店からの贈り物よ♪あ、ちなみにこれを見立ててくれたのは武ちゃんだから。」
「た…武…ちゃん?」
「さ、出来たわ♪早速武ちゃんに店に行きましょ。」
の意思は完全に無視し、手を取って強引にホールへと連れて行く。



山崎が引っ張っていった先には榎本が待っていた。



「ああ、君よく似合っているよ。」
着替えを終えたの姿を確認し、満足そうに微笑んだ。
「舶来のドレスもいいが、やはり和服の方が風情もあって可愛らしい。」
「あの、これを受け取るわけには…」
と言いかけたの言葉を、榎本は制した。
「倶楽部のシステムでね。お客様の誕生日にはプレゼントを贈らせて
もらう事になっているのだよ。もしや浴衣より薔薇の花束のほうが良かったかな?」




榎本から薔薇の花束を贈られる自分を想像し、は首を思いきり横に振った。
「…だろう?だったら、それを素直に受け取って欲しい。」
戸惑いつつも、は小さく頷いた。




夜空の彦星と織り姫は、無事天の川を渡ることが出来たのだろうか。
倶楽部五稜郭の彦星と織り姫は、今夜少しだけ心の距離を縮めたのかもしれない。












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